Social batteryってどういう意味?

Social battery
社会的電池

社交が苦手な人が人づきあいできるリミット」といった意味の表現。
うーん簡潔に説明しようとすると難しい。

割と最近提唱されている概念で、
元来人と一緒ではなくて、一人で何かしていたい人が
それでも付き合いをしなきゃいけない時の限界値、といった考え。
その限界をスマホのバッテリーになぞらえている表現ですね。

あえて日本語にするなら「社会的電池」とか「社交電池」とかですかね?
多分そのままソーシャルバッテリーといった方が通じる気もしますが。

多くの人が集まる場所だと急激にバッテリーが減る、とか
数人でも長時間一緒にいるとバッテリーが減る、とか。
とにかく一人になる時間が必要であるというメッセージが込められてますね。

でもまぁ、人間程度の差はあれそういうもんだと思いますけどね。

-例文スキット-

Phew, talking to someone new is hard.
(ふう、新しい人と話すのは疲れる。)

I did the talking, you just stood there.
(俺が話したんだ。お前は突っ立ってただけ。)

Well, I was in the conversation.
(いや、会話には参加してたからね。)

Now, if you’ll excuse me, my social battery has died.
(じゃ、失礼して、もう社会活動の電池が切れたんだ。)

Let me just go home and rest.
(家に帰って休ませてもらうよ。)

Again, you did nothing.
(だから、お前何もしてないって。)

I said things like “ah” and “right”.
(「あぁ」とか「うん」とか言ったから。)